ひとりぼっちのダービー その2

ライスシャワーと的場騎手


 この曲自体は、ライスシャワーや今ならグラスワンダーの騎手として有名で、さださんの親友、的場均騎手の1000勝記念CDのために作られたものです。ライナーノーツには、依頼が来たとき、前のタカイサミの話をいつか曲にしたいという思いと、この的場騎手のあたたかな性格が結びついて、この曲になったということが書かれてます。

 そしてこの曲は、的場騎手自身が歌われたCDが、この1000勝記念パーティーで配られたとのことです。ぜひ聞いてみたいと思うのですが、残念ながら私はまだ見たことがありません。
 そして的場騎手バージョンのCDには、ライスシャワーが勝った1993年の天皇賞・春の実況が入ってるそうです。


 ライスシャワーが最初に注目を集めたのは、1992年のダービー。この時、ライスシャワーは17番人気という低い評価でしたが、2着に入ってあっと驚かされます。1着が1番人気のミホノブルボンだったのに馬連は万馬券。世間にライスシャワーを印象づけた瞬間でした。

 同じ年の秋、ライスシャワーは三冠レース最終の菊花賞に勝利。実はこのレースにはミホノブルボンの三冠達成がかかっていたのですが、ゴール前直前にライスシャワーがかわしてその夢を砕いてしまいました。それから悲しくも仇役のイメージが漂うことになります。

 的場騎手のCDに実況として残された1993年春の天皇賞。この天皇賞にも記録がかかってました。それは名馬メジロマックイーンの3年連続天皇賞制覇。元々以前の天皇賞は1度勝った馬が出られないレースでしたので、2回勝つというのもまれなケース。ましてや3度勝つなどめったにないチャンス。しかしまたまた直線でマックイーンを交わし、その夢を砕いたのも、このライスシャワーなのでした。

 しかしその後ライスシャワーは極度のスランプに陥り、9レース連続で負け続けます。大レースはもちろん、普通の重賞クラスでも勝てなくなってしまいました。自然と仇役のイメージは消え、同情するファンが増えてきたりもしていました。

 しかしライスシャワーは復活しました。1995年春の天皇賞、珍しく3コーナーで先頭に立ったライスシャワーは、後続の追撃をハナ差振り切り1着。ずっと応援していたファンが大喜びした勝利でした。

 残念ながら、この1カ月半後の宝塚記念というレースで、ライスシャワーは悲運の死を遂げます。3コーナーで脚を脱臼し転倒。的場騎手が見守る中、薬殺処置となりました。サラブレッドは、体を支えることができないほどのけがをその脚に負ってしまうと、あのテンポイントのように苦しみながら衰弱死の道をたどります。このための仕方のない処置なのですが、競馬ファンが悲しみに沈んだ事件でした。

 写真は京都競馬場にあるライスシャワーの記念碑です。今でもライスシャワーを偲んで多くの人が訪れます。


 的場騎手は今年2月に通算1400勝をあげました。(先日のレースで負けてしまいましたが)グラスワンダーでの凱旋門賞挑戦のプランもあります。的場騎手の海外での活躍も楽しみにしたいですね。


ひとりぼっちのダービー表紙へ戻る  次の「なぜかトウカイテイオー」へ